結局私はどう見られたいのか?

昨日は、午前中一コマだけ授業があり、夕方からは、お話を「聴く系」の仕事。そんな日のコーデです。
一昨日の失敗コーデもありまして、今日こそは「センセイらしく」あらねばと思い、一昨日とは打って変わったいでたちに。暖かかったのでアウターはユニクロUのブ

ロックテックトレンチにしました

画像見れば一目瞭然、足元はスニーカーでハズすべきでしたねー。もっちろん、それは頭をかすめたのですが、一昨日スニーカーに履き替えたばかりに失敗しているので、「いやいや、まてよ」と自重。結局、鉄板のショートブーツにしてしまいました。
なんかやることがちぐはぐだなあ、まあ、それが現在のワタクシだということなのでしょう。

何気なく昨日のブログで「センセイらしさ」などという言葉を使ってからふと考えるのは、私は学生からどう見られたいのかな? ということ。
私は地声が大きく、教室を動き回る授業スタイルのためか、「元気でアグレッシブな」印象を与えるようです。学生からの評価シートにもそれに近い記述が目立つので、たぶんそうなんだと思う。でもこれだと、おとなしくて内向的な学生には気後れさせちゃいますよね。
それもあって、授業のある日のコーデを考えるときになーんとなく気をつけているのは、どこかに「優しさ」「穏やかさ」を感じさせることです。
つまり、「優しく穏やかな人」でありたいのが私なのだな、でもそれは無い物ねだりっぽいぞ。

古い話になりますが、哲学者の鷲田清一先生が、著作のなかで「ファッションとは見る人の意識をコントロールするためのものである」(文言違うかもしれませんが、こんな内容)と、おっしゃっていました。

つまり、無い物ねだりであるならばよけい、なりたいイメージをファッションを使って補完する必要があるというわけですな(曲解気味)。
手っ取り早いのはスカートを履くことでしょうかね。「女性=やさしい」とはまったくもって言い切れませんが、すりこまれたイメージの世界は強いので、まだまだスカートの力を借りることはできそう。
そして、だからこそ、一昨日のようにカジュアルなパンツを履くときは、女性にしか履けないパンプスでバランスをとるべきだったのですが、うっかりスニーカーを履いた結果、撃沈してしまったという、ね。なんとわかりやすい(笑)

鷲田先生は、「他人の眼に映るじぶん、それへの関心を失うとき、人はおそらくじぶんへの関心をも失う」(『てつがくを着て、まちを歩こう。』)ともおっしゃっています。実は、この言葉、私がこのブログを立ち上げた理由(→わたしのこと に書きました)の根底の部分を支えています。とりとめのない自己紹介ですが、ご興味あったら読んでいただければ(無駄に長いので、適当に端折ってくださいねー)

◆トップス/ H2O→ この日と同じ
◆スカート/ Doux archives
◆アウター/ ユニクロU ブロックテックトレンチコート→この日と同じ
◆靴/ 大昔のもの 詳細不明

思いっきり余談ですが、このトップス、Vネックの開きが広すぎてうまく着こなせなかったのですが、乾燥機をかけて縮めるという荒療治の結果、数ミリ縮めることに成功しました。めでたしめでたし

お読みいただきありがとうございます。

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